|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 協 : [きょう] 1. (n-suf,n-pref) cooperation ・ 協奏曲 : [きょうそうきょく] 【名詞】 1. concerto ・ 奏曲 : [そうきょく] (n) (abbr) sonata ・ 曲 : [きょく, くせ] 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
バルトーク・ベーラ作曲のヴィオラ協奏曲 Sz120は、名ヴィオラ奏者ウィリアム・プリムローズにより依頼されたバルトーク唯一のヴィオラ協奏曲である。しかしバルトークが草稿段階で他界してしまったため、ハンガリー出身の作曲家シェルイ・ティボールにより補筆・完成された。初演は依頼者のプリムローズによりなされている。現在でもほとんどこのシェルイによる補筆完成版で演奏されている。 == 作曲の背景 == 「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」・「弦楽四重奏曲第6番」などの名作を作曲したバルトークは、1940年にナチスの脅威を感じ、故国ハンガリーを離れ、不本意ながらもアメリカに移住する。慣れないアメリカ暮らしにより一時期創作意欲を落としたバルトークは、白血病により体調を崩したためもあり、アメリカでは1945年に亡くなるまでに、この「ヴィオラ協奏曲」を含めわずか4曲しか作曲していない。有名な「管弦楽のための協奏曲」(1943年)、メニューインに依頼された「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(1944年)、同様に未完成の遺作となった「ピアノ協奏曲第3番」、この「ヴィオラ協奏曲」の4曲である。 「ピアノ協奏曲3番」は最後の17小節のオーケストレーションが残されたのみというほとんど完成された状態であったが、この「ヴィオラ協奏曲」はヴィオラ独奏部分はほとんど完成していたものの、オーケストラは部分的な指示のみという状態であり、シェルイの補筆作業は困難を極めた。ようやく初演がなされたのは作曲者の没後約4年を経た1949年のことであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィオラ協奏曲 (バルトーク)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|